がんばれカッパちゃん❕

好きな曲にまつわる思い出ばなし

代官山リフレイン -ゆず

 

 

今日は職場でいろんなものを溢しまくる1日でした。どうした?!?

 

 

3月ももう折り返し地点ですね。年度末の我が職場、ここからが地獄なわけですが、ちょっとした楽しみも残ってるので、適当に頑張ろうと思います🚩

 

 

 

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さて、3月といえば、

もう日は過ぎてしまいましたが、

3.11ですよね

 

 

 

もう10年なんてびっくりです。

体感としてはまだ3年くらいなんですが、あっという間に年月が流れていたようです。

 

 

東北に住む人間として、やはり3.11は無視できないものなので、今日はそのことについて書こうと思います。

地震のことを思い出したくない人は、ここでお終いにしてね。

 

 

 

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当時TPは中学3年生で、高校受験を前日に終えて、明日には卒業式を控えていました。

 

前日の受験日、社会科のテスト中には、3.11の前震も来ていました。

がふつうに震度3くらいあって結構大きな地震だったので、そのときにはこれが前震だなんて思いもしませんでしたが。

 

 

 

11日、授業自体はすぐに終わって、友達と卒アルに寄せ書きをしあったり、お世話になった先生方にお花を渡したりしている最中、職員室にいるときに揺れが来て、

 

 

 

近くにいた体育の先生が咄嗟に机の下にわたしと友達を入れてくれて、先生がその上から身を挺して守ってくれていたのを覚えています。

 

 

 

揺れが収まった頃には、職員室はプリントやら教科書やらが一面に散らばって、真っ白な床になっていました。

 

 

 

そのまま校庭に避難して、親が迎えに来た子どもから順に帰宅。

 

 

荷物も、卒アルも、学校に置いたまま、

 

 

 

 

 

わたしは比較的早く帰宅できたのですが、迎えに来てくれた母がすぐ妹の友達を家まで送っていったので、しばらく家で一人過ごすことに。

 

 

 

すると、それまで晴れていた空が急に暗くなって、雪がたくさん降り始めて、

 

 

校庭で迎えを待っている同級生たちは雪に当たっていないかな、

職場にいる父親は大丈夫かな、

母と妹はいつ帰ってくるかな、

 

 

と、不安に思ったことを昨日の事のように覚えています。

 

 

 

 

体験したことのない大きさの地震で、初めての引き渡し下校で、いつもの地震とはかなり違うなと薄々感じ、当時持っていたガラケーで父親に安否確認の電話をしました。

 

 

そのままワンセグでニュースを見て(既に電気は使えなかった為)、なんだかすごい大きな規模で被害が出てるらしいこと、そしてどうやら福島の原発が危ないらしいことを知って、知ったけれども現実感もなければ意味も分からなくて、

 

 

そんなこんなしているうちに母と妹が無事帰宅し、電気もガスも点かないことに気付いて、今夜のご飯はお菓子だね!(笑)なんて気を紛らわしながらお菓子を食べているときに父親が帰宅して、あっという間に一日が終わりました。

 

 

 

 

 

 

その夜、父が持ってきたラジオから、

「荒浜の海岸に何百もの死体が打ち上がっている」

という衝撃的なんてもんじゃないニュースが流れてきたのが、今でも忘れられません。

(荒浜は津波の被害が大きかった地域です)

 

 

 

 

ものすごい大きな揺れも、

何回も来る余震も、

突然降ってきた雪も、

意味が分からないニュースも、

 

何もかもが未体験で、ほんとうに怖くて、

本気で「このまま世界が終わっちゃうのかな…」と思いました。

 

 

次の朝になっても電気もガスも点かなくて、結局停電は震災から1ヶ月くらい、ガスは1ヶ月半くらい止まったままだったのでした。

 

 

 

 

 

わたしは幸運にも、身内もみんな無事だったし、家も何ともなかったし、ほとんど被災をしていないし「被災者だ!」なんて言うのが申し訳ないくらいで

身近にはもっと怖い思いをした人たちがたくさんいました。

 

 

その後5月から入学した高校では、実際に津波に流されたけど助かった子、家が半壊した子が当たり前にいて、

そして誰も何も言わなかったけれど、多分身内が亡くなったり怪我をした子もきっといたんだと思います。

 

 

 

そう思うと、自分の被災経験なんてちっぽけなものだけど、

10年経ってあの頃を振り返ると、かなり大変なことだったんだなと改めて思います。

 

 

 

 

 

 

今ではもう、「被災地」という言葉がイコール東北とは限らなくなってきて、震災復興もだいぶ進んできて、

地震を経験しなかった人達からしたら、もう3.11自体が大昔のことになっているかもしれません。

 

 

でも、まだ震災前の姿には戻っていない場所や、戻せない場所、未だに海開きのできない海や、家を建てられなくなってしまった区域、放射能で利用できなくなってしまった地域があります。

 

 

そして、海溝の上にある島国に住む以上、今後の地震も避けられません。

 

 

震災での犠牲をぜったいに無駄にはしちゃいけないし、これからの未来を思っても、絶対に風化させちゃいけないんだと、

そのためにも、震災経験者として、震災の話ってある程度避けないでしていく必要もあるのかなって最近思うようになりました。

 

 

 

3.11の後の熊本地震でも大きな被害が出て、また最近も福島震源地震が起こりましたね。

 

 

 

もうこれ以上震災が起きないで欲しいと切に思いますが、日本に住んでいる以上、地震は避けられない…となれば、あとは対策をしっかりするしかないですよね。

 

 

個人としてできることは、水や非常食をきちんと用意しておくこと、なるべくガソリンを切らさないようにしておくこと、ラジオや懐中電灯の準備、

 

 

あと一番は、被害を軽く見ないで危険を感じたらすぐ避難することだと思います。

 

 

きっと大丈夫、その思い込みでたくさんの人が亡くなってしまうことは、今後ぜったいに避けたいことですね。3.11の一番と言っていいほど大事な教訓だと思います。

 

 

 

 

 

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長くなりましたが、これで震災当時の話は終わりです。

 

 

 

余談ですが、電気もガスも使えなくて、どこにも行けなかった当時、暇を持て余してWALKMANの充電が切れるまで音楽を聞き続ける生活をしていました。

 

 

 

そのちょっと前にゆずの2というアルバムが出たばかりで、その新しいアルバムをとにかくずっと聞いていた記憶があります。

 

 

だから2のアルバムを聞くと震災を思い出すし、なぜか特に代官山リフレインという曲を聞くと、終わりの見えない被災生活の中で、これからの生活や、学校や、未来のことに不安を抱いていたことを思い出します。

 

代官山リフレイン / ゆず

 

 

(無断転載しかなかった)(それを貼るな)

 

 

 

ちなみに、ゆず、震災といえばHey和を思い浮かべる人が多いと思いますが、

 

実は震災後1発目に作られた曲はこれなのです

 

LOVE&PEACH / ゆず

 

 

なんでもかんでも自粛ムードで、めちゃくちゃ暗くなっていた時期でしたが、それを受け止めつつも「みんなで盛り上がろうぜ!」っていう曲です。

かと思いきや、震災後だからこその歌詞も結構たくさん入ってて(政府への文句とかもしれっと入ってる)

 

 

 

個人的には、こういう風に盛り上げてくれるのがすごい嬉しかったし、

流れてくる音楽も暗いものばっかりで余計気持ちも下がっていたので、こういう曲を1発目に作ってくれるゆず本当にすきだよ…

 

 

 

 

反面、自粛って必要だよなという気持ちもあって、震災当日から数日間、ワンセグやカーナビで見るTVで普通にいつものバラエティーがやってることに凄い違和感を感じたものでした。

 

 

被害に遭ってない人もみんな悲しんでね、という思いはないのですが、なんかね…感情って、むずかしいね。

 

 

 

 

 

もっともっと震災関連の話はしようと思えばできるのですが、既にもう超長いのでこのへんで終わりにしたいと思います。

 

 

 

2021年の3月11日、きれいな追悼ライトを見て、なんだか色々なことを考えたTPでした。

 

 

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またね🧸